明日から違う場所で暮らせと言われても

一生勉強葛藤本当感情錯綜

本当は会社辞める気なかったんだけどね

8月末までこの現場やって、運用なり構築なり上位の仕事にいければいいなあって思ってたけど、なんで転職しようと思ったのか振り返ってみよう

 

3月末、初めてのボーナス支給。なんと手取り11万円。

前職の1/4である。劇的に少ないし今後何年かはこれで戦い続けることになるんだと気づく。

同期の二人を呼びつけてボーナス少な!!!とかやったのもそのおかげでGW遊べたのもいい思い出。

4月、同僚が転職活動をしていることは知っていたが、ごひゃくまん族になることを知る。

実際、抜けてった人たちはそのくらいもしくはそれ以上で抜けていったので俺もいけそうじゃんと思ってしまう。実際この現場に居続けたい気持ちなんか微塵もないし、この給料で戦い続けるのももういやになっちゃった。

ここで2コンボ。

4月末、なんとなくビズリーチで英語で話しかけてきた恐ろしいエージェントに返信する。

おもえばこの英語いきりがあったからこその今。

4月末、面談。しっかり英語で草。大変だった。

履歴書や経歴書をだす。しかも英語やで。

GW、同期の二人ともう一人に辞める気で進行中と伝える。何か二人ともそんな感じだったのがおもろい。

なんだかんだそういうレジスタンス的な側面もあるからこそつるめたのかもね。

絵描いたね。

5月中、面接2回と面談1回。

面接は2回とも当日連絡。さすが外資系。

当然のように英語だった日本語でだらだら自己紹介するよりは英語でスパッとやったほうが気楽だよね。

当日連絡とはいえ、エージェントからのアドバイスはすべて活きた。本人の連絡は早いし、かなり有能だと思われる。

面談だけ日本語だった。自己紹介とか志望動機とか給料についてとか、日本語だった。用意してなかった。

 

無事に受かりそうなことがわかる。このタイミングから金遣い荒くなり辞める気でのムーヴが増える。

しかし6月半ばまで内定出ず。7月半ば入社の予定が結局8月頭に。まあよい。

内定通知でたその瞬間に定期面談で3年目楽しみだねと技術部長に言われる。ごめんね。人は嫌いじゃないんです。給料と現場が嫌いなんです。

そして19日、辞めたいと営業に伝える。

さあどうなるでしょうか。7月半ばで辞めるのがベストだけど月末でも許してあげないこともない。

しょうがないよね。550万円だもんお金もらえる方に流れてくよ。