やってまいりましたこの鬱屈とした気持ち
自分の人生の意味を考えると、暗くなってしまう。
高校生くらいまでは、正確に言うと大学1年生くらいまでは(大学の地方的に言うと1回生)ずっとこんなことを考えて暗い気持ちになっていた。
大学2年生では留学する必要があり、その留学をいよいよもうすぐと控えていた冬、
母が亡くなってしまった。
当然19歳には一大事で、母は病弱には見えなかったものの、それはおそらく母、女性の強さで、確かに頭痛はよく出していたし、そもそも一度くも膜下出血をやっていた。
母がくも膜下出血をしたときは自分は小学3年生。母が倒れたことはわかっていたが死ぬなんて思っていなかった。本ばかり読んでいた内気な少年だったが、
死は推理小説の中のものでありファンタジー作品の敵の与えられるものであり、現実のものではなかった。
だからあの時は入院していようがなにをしていようが、死ぬことはなく帰ってくるのが当然だと思っていた。あの時はそうだった。
しかし、19歳の冬、母が本当になくなってしまった。もちろん悲しかったし涙も出たし喪失感もあった。
その後、父の知り合いの店でバイトをさせてもらい、なんとなく大人としての振る舞いを少し学んだ。
そして来る4月、イギリスへ留学した。この話は今回は省略。
とにかく、母の死を経ての留学をした結果、人生の意味や成し遂げることに対して追求する理由、必要がなくなってしまった。成長した自分、自立した自分を見せて安心させるだとかという目的が失われてしまったのだ。
もういい、誰も私のことなんか見てない、今後も見せる必要なんてない。だからもう好きに生きたらいい。これ以上理由なくただ生きて、死ぬまで生きていればいい。
そして死ぬときに少し理由があればラッキー。
そんな人生観である。だから結構それ以降の人生は楽しかったし、意味とか理由とかを失ったから気楽だった。一人で生きて一人で死ねばいいと。
しかし最近、本当のうつ病の人と出会ってしまった。所詮私は落ちこむことにすら二流だったのだと落ち込んだ。
それはともかく、自分の持っていたものよりもはるかに強い希死念慮に触れて、またさすがというべきかそのうつ病の方は哲学科だった。
哲学的な話にも触れつつ最近を過ごしていたせいで、ついに人生の意味についての問いが私の中に再び現れてしまった。
さあ大変である。20歳からの私は楽しく生きていた。大学時代は楽しかった。無為に過ごした1日、やたらと何かをした1日、全部等価で、よい1日だった。
適当に就職した。つぶしがきくだろうと営業にした。達成感はなかった。
向いてなかった。もしかしたらもっと自分から企画提案どうのこうのができれば、楽しかったのかも。
そして今、さらなるつぶしを求めてIT系に転職しもうすぐ2年がたつ。営業よりはよっぽど向いている。資格を取るのも語学の延長のようなもの。CISCO語なんていわれていても所詮は英語、楽しく資格の勉強もできている。
しかし、無為な1日は増えていた。夜勤もあるし、明けは眠いし。何もしないで動画だけ見てる日も多い。
そうこれがもたげてきた鎌首。
友達は増えた?今何かしてる?何をしているときが一番楽しい?
何かを成し遂げることはできそう?どんな目標がある?恋人は?
「普通」の人はこんなこと考えないんだろうか。「普通」の人よりかは色々無駄に思い悩んでいるのだろうが、「普通」の人が持っているいろいろなものをもってない。
「普通」の人に擬態はできるが、深い付き合いにはなれない。
昨日ついに言われてしまった。上手に話せているのに、「もっと人に質問したほうがいい。」
ああやめて。語学とか哲学とか心理学とか美術とかゲームとか興味あるものはあるんです。弊社の皆様から遠いだけなんです。
まあとにかく、今の当面の目標は海外移住。グローバルなつぶしのききを求めてITへ転職したのだから。それに語学スキルはみがける、ITスキルもみがける。どちらも得意とは言い張れなくても、そこそこである。
ただこの海外移住を目指していることは、生きている意味?
とってつけたような人生の目的が?
自分のためだけ?
大切なだれかを見つけてその人のために尽くすことこそ幸せでは?
幸せについて考えたとき、誰かのために生きることが結論になるくらいには尽くすタイプらしい。
でも「普通」の人とは付き合えないよ。暗いもん。暗いしめんどくさい話好きだし。
語学系ではコミュニティを増やさなければと本当に思っている。思っているがどうやって探せばいいのだろうか。
色々模索しつつ今日も無為にならない程度に頑張っていきましょう。
いつもいつも思いついたことを思いついた順に書いているから全然文章にまとまりがない。
編集さんとかいれば変わってくるのだろうか。構成を考えたり推敲したりはさすがに著者の仕事だと思うが。そろそろ2,000字になるので今度こそおわり。